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オープンデータ活用術・完全版【第5章】②日記・メモ・自伝・論文は第一級の資料

D-JEDI理事:熊田安伸

「個人に関する情報を調べる」の2回目です。個人のことを詳しく知りたいなら、その人自身が書いたものを入手するのが一番です。オープンデータとは言い難いものですが、調査報道をするならば、何とかして手に入れたいところ。そして、実はオープンデータになっているケースもあります。今回はそれを紹介します。


なぜ姉妹は孤立して亡くなってしまったのか

2012年、札幌市白石区のマンションで、42歳の姉と、知的障害のある40歳の妹が人知れず「孤立死」していました。しばらく前から体調不良を訴えていた姉は病死、妹は凍死していて、1カ月後に見つかるという衝撃的な事件でした。

なぜ2人は亡くなったのか、どういう生活をしていたのか、そして行政などの救いの手はなぜ届かなかったのか。当時のNHK札幌放送局の記者たちが取材をしました。

その際、最も役に立ったのが、姉が日々の予定を記入していた「手帳」と「家計簿」でした。「同じような悲劇を繰り返したくない」という親族に、取材の趣旨を説明して入手したものです。

姉は複数の仕事を掛け持ちして懸命に働き、家計を支えてきたものの、亡くなる1年前から公共料金や家賃の滞納を示す赤い「未」の文字が現れます。姉が体調を崩して働けなくなると、2カ月ごとに13万円余りが支払われる妹の障害者年金が家計の支えになっていました。亡くなる半年前には、すべて「未」の状態になっていたのです。

(※番組のサイトは残っていませんでしたが、個人の方が内容を引用したブログがありました)

姉はついに生活保護の相談窓口に駆け込みますが、その場で申請をしていませんでした。相談記録には「懸命なる求職活動が条件」と書かれていて、律儀な姉は「条件を満たしていないので、まだまだ頑張らなければ」と友人に話していたといいます。派遣会社10社に登録するなど、懸命に仕事を探していた記録もありましたが働くことはできず、最後は受け取ったばかりの年金で滞納した家賃を支払い、たった3円が残った状態でした。

支援の在り方を根本から見直す必要があるのではないか。SOSをきちんと受け取れる制度にするべきだという強い提言をする報道ができたのは、そうした姉妹の生活のリアルを裏付ける資料があったからこそでした。

経済事件の取材でも同様です。いわゆる「黒革の手帳」のメモ一つが、事件の解明の大きなカギになることは本当にあります。

災害の検証報道にも有用

東日本大震災の被災地で、住民が驚くべきところに避難していたのをご存じでしょうか。宮城県女川町では、東北電力・女川原子力発電所の施設内にある体育館で、約360人の周辺住民が最長で80日の避難生活を送りました。

いったい、どんな避難生活を送っていたのか。女川原発は事前に行政が定めた避難所ではなく、突発的に避難所化した「計画外避難所」であり、公式の記録が存在しません。

そこで記者たちは、避難していた住民たちをローラー取材。すると、二つの資料が見つかりました。一つは地域住民のまとめ役をしていた男性が書いた「避難所記録メモ」、もう一つは避難していた女性の「日記」。その二つから浮かび上がってきたのは、想像を超える避難者たちの体験でした。

また、2004年に発生した新潟県中越地震では、大きな被害を受けた山古志村(現在は長岡市に合併)の住民全員が避難するという事態になりました。

当時の長島忠美村長(2017年死去)は、避難生活を送る住民たちと交換日記のような「頑張れノート」を書いていました。全部で6冊。ノートは復興交流館で展示されていたものの、中身については長く非公開とされてきました。

当局による公式記録だけでなく、こうしたさまざまなレベルで現場の真相を明らかにする資料が残されているものです。対応が万全だったのか、不備があったとしたら何が課題になるのか、検証報道には欠かせないものです。

特に行政側の担当者のちょっとしたメモのようなものは、捨てられてしまう前に一刻も早く入手しておくといいかと思います。情報公開請求をしてみましょう。

上記の文書入手の顛末や報道内容、そしてこうした災害時の取材方法については、『災害前線報道ハンドブック』の方で詳しく書いていますので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。

「自伝」「論文」の宝庫が存在

日記やメモは相手側にお願いして入手する必要があるので、オープンデータとはいえないかもしれません。しかし、実はオープンデータとして入手できることもあります。そんなものが集まった「宝庫」も存在しています。

ここから先は会員限定です。個人が記録したものが集まっている宝庫とはどんなものか、具体的に紹介します。

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