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50歳で新聞社からネットメディアへ。ゼロからの立ち上げで身につけられたもの

文:D-JEDI代表 浜田敬子

朝日新聞退社に迷いはなかった

新卒で入社した朝日新聞社を50歳で退社してベンチャー企業に転職、Business Insider というアメリカで生まれた経済メディアの日本版の立ち上げを編集長としてやると決めた時、多くの人の反応は「なぜ朝日新聞を辞めるんですか」「もったいない」というものでした。
といっても私自身は、この転職にほとんど迷いはありませんでした。むしろAERAの編集長を退任した後、朝日新聞のビジネス部門で働いていた時の方がモヤモヤを抱えていたからです。
AERAという雑誌で働きたくてそれが叶い、17年間もAERA編集部で働けたこと、さらに編集長まで務められたことで、幸いその間はキャリアについて悩んだことは2度ぐらい(この2度の話は今回のテーマではないので、また機会があれば)。むしろあまりに日々全力投球で雑誌を創っていたので、自身のキャリア、特に「AERA後」を考える余裕もありませんでした。
正直、編集長の役目が終わった時は一種の燃え尽き状態でした。新たな仕事は、できたばかりの部署、総合プロデュース室のプロデューサー。新聞社の新しいマネタイズの方法などを考える仕事で、自身の心を奮い立たせながらそれなりにやりがいを持っては働いていたのですが、「やっぱりニュースの世界に戻りたい」という思いが拭えず、退職してフリーランスのライターになろうか…などとグズグズと悩んでいました。

転職を決意できた2つの幸運

私が転職を決意できたのは2つの幸運が重なっています。
ひとつ目は悩んでいた時期に、転職先のベンチャー社長である友人からBusiness Insider の日本でのライセンス取得を目指しているから、実現したら編集長をやってみないか、と声がかかったこと。
そしてもうひとつが、「人生100年時代」の新たなキャリアの考え方を啓蒙した『ライフ・シフトー100年時代の人生戦略』の著者であるリンダ・グラッドンさんとお話しする機会があったことです。
私はリンダさんが来日された際の販促シンポジウムでモデレーターを務めたことで、少し楽屋でお話しする時間がありました。それまでの激務に疲れ切り、キャリアの先行きが見えずにいた私が「60歳までなんとか働いて、それからは好きなことをして暮らしたい」と話すと、リンダさんからこう言われたのでした。
「仕事をしない人生はつまらないですよ。すぐに飽きてしまう。もっと長く仕事をすることを考えた方がいいですよ」
その言葉で、初めて自身が60歳を越えて、70、いや75歳ぐらいまで働くことを具体的にイメージできていなかったことに気づきました。
当時私は50歳直前。これから20年働くとしたら、何がしたいのか。ずっと好きなニュースメディアの仕事をしていくにはどうしたらいいのか。恥ずかしながら、初めてここで「自分ごと」として考えるようになったのです。

自分に足りない能力は何かを考える

転職するにあたって、当時私が考えていたのは、こんなことでした。
・2010年に入り、ニュースの主戦場はデジタル上にシフト。どんなに渾身の企画を立てても、当時のAERAは紙媒体のみ。特に若い世代にきちんと取材をした良質なニュース記事を届けたいと思っていたのに、紙だとどうしても届けられる範囲に限界がある。今後、ニュースの仕事をしていく上では、デジタルメディアの方が読者が広がるし、伝え方の可能性も広がる、そのためにもデジタルメディアに挑戦して、スキルや知見を身につけたい。
・それまで私がいろんな挑戦ができたのもAERAや朝日新聞のブランド力があってこそ。ゼロから自身で新しいメディア、ブランドをつくってみたい。
・そして私自身がAERAなどで経験してきた編集、取材、執筆の手法、さらに取材で知り合った人たちのネットワークが新しいメディアには大きな力になる。

長くニュースの世界で働くために、自分に「足りない」ものは何か。それを考えた時に私にはデジタルの経験が圧倒的に不足していることを痛感していました。それで新しいオンラインメディアの立ち上げほど、私が新たなスキルや知見を学べるものはないと考えたのです。今で言う、リスキリングですね。

複数の武器を持つことで広がる選択肢

私は新たに何かを学ぶ時には「場」を移すことをオススメします。机上で知識を学ぶことも大事ですが、実践の中で学んでいくことは定着の度合いもスピードも違いますし、知識として学んだものがどこまで通用するのかも試せます。なので、何か新しいものを習得したいと思ったら、社内異動でもいいので自分の居場所を変えてみる。そうすると、自分に「足りない」ものも見えてくるので、それがまた「学び」のモチベーションにもなります。

そしてもうひとつ大事なことは、自分が何か「得る」だけでなく、何を与えられるか、何で貢献できるのかを考えることも大切だと感じています。
Business insiders Japan時代、多くの新聞、テレビの方が採用に応募してくださいました。ですが、ほとんどの人が、「自分がやりたいこと」を一方的に話されるだけ。一線の記者として記事を書いていきたい、これまでこんな記事を書いてきたと話される人が多かったのです。
人数が大手メディアほど潤沢ではない新興メディアで求められるのは、1人何役もこなせる人、2つ3つの得意技がある人です。ライターとしての能力だけでなく、例えばデスク業務経験があり、後輩の育成やマネジメントも原稿の指導もできる。データを見やすいビジュアルで表現できる。自身がSNSが大好きで使いこなしている。さらには企画が立てられたり、イベントの運営ができたり、喋りがうまかったり、動画の編集もできたり、と小さなチームで最大限のパフォーマンスを出すには、一人ひとりが求められるものは大きくなります。
新聞社などで長く働いてきた人は、どうしても特定の分野には深い知識や経験を持っている人が多い。それも大切なことだと思いますが、これからのキャリアなどを考えると、複数の「武器」を持っていた方が選択肢は必ず広がります。

学び合う組織で私が教わったもの

いろいろな得意技を持った人が集まった組織の方が、表現方法も豊かになると思うのです。
Business Insider Japanの立ち上げ当初は正直カオスでした。数人の記者で毎日バタバタしながら、記事をつくっていく。でも人数という制約があったからこそ、「ニュース記事とはこうあるべき」「報道とはこうあるべき」という「べき論」から少し離れて、いろんな表現手法、取材手法も考えました。もちろんジャーナリズムの基本の理念や押さえるべきところは押さえた上ですが。
またデジタルメディアでは、既存メディアで経験を積んできた中堅・ベテランが有利とも限らない。それも面白いところです。私自身も若い記者たちから随分と学びました。SNSでの拡散の仕方やクリックされやすいサムネイルの作り方。そういったセンスやスキルは圧倒的に若い世代の方が優れています。特にBusiness Insider Japanは読者をミレニアル世代、Z世代としていたので、この世代に読みやすい文体や字数、タイトルの付け方、写真の撮り方などは、若い記者たちと議論しました。
新聞社のヒエラルキー型組織から移ってくると、このみんなで教え合い、学び合うフラットな関係性もとても魅力的でした。Slack上では、常に「このニュース面白い!」「この問題、うちでもやりたいよね」という会話が常に交わされ、そんな会話の中からいくつもの企画が生まれ、取材先を紹介し合うといったことは日常でした。ある時には、その議論があまりにも面白かったので、これをそのまま記事にしようよと言って、記事化したこともあります。
デジタルメディアのゼロからの立ち上げというのは、想像以上に大変でしたが(またこれは別の機会に)、でも私はこの時の編集部員のみんなと議論した経験が忘れられないのです。自身が得意な知識やスキルをgiveし合う。その中から豊かな発想が生まれたと思っています。

ゆるやかでオープンな学びの場を

私たちが設立した一般社団法人デジタル・ジャーナリスト育成機構では、いろいろな立場の人たちが組織の枠を越えて学び合いができるゆるやかでオープンな組織を目指しています。そして、その議論の中から、デジタル時代のジャーナリズムの新たな可能性を探っていきたい。それが個人個人のキャリアやスキルにとってもプラスであるだけでなく、ジャーナリズムやメディアの世界全体にもきっとポジティブな力を与えてくれると思っています。