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(文字起こし)D-JEDI設立記念シンポジウム2「現場取材を誰がどう担うか」

シンポジウム第2部「現場取材を誰がどう担うのか」。モデレーターは滝川麻衣子さん、登壇者は小西遊馬さん、須賀川拓さん、村山祐介さん。

自己紹介

【滝川】
ただ今より、シンポジウム第2部「現場取材を誰がどう担うのか」をスタートいたします。ファシリテーターを務めさせていただきます、滝川麻衣子です。本日は東京、ロンドン、キーウの三都市をズームでつないでお届けします。ぜひ皆様、ご質問の方もご用意ください。

それでは最初にスピーカーの皆様に自己紹介をしていただきたいと思います。会場にお越しいただいています、小西遊馬さんです。ドキュメンタリー作家/ジャーナリストとして大学在学中からご活躍されています。

小西遊馬さん

【小西】
はい。よろしくお願いいたします。小西遊馬です。僕はドキュメンタリー作家、ジャーナリストとして活動させていただいております。今まで一番最初の取材がバングラディッシュのロヒンギャ難民の方々で、そこからフィリピンの路上で血の繋がらない家族のドキュメンタリーを撮らせていただいたりとか、2019年の香港の民主化運動とか最近だとウクライナの取材をさせていただいておりました。よろしくお願いいたします。

【滝川】
本日はロンドンにいらっしゃいます、タリバン報道官の独占インタビューなどでも知られていますTBS中東支局長の須賀川拓さんです。須賀川さん、自己紹介お願いいたします。

須賀川拓さん

【須賀川】
よろしくお願いいたします。ご紹介に預かりました須賀川と申します。最近はYouTubeなどで、ガザやウクライナから、紛争地や戦争地から「ひげ面で日本語でまくし立てているおじさん」です。会社の同僚の息子さんで、12歳ぐらいなんですけれども、本当にTBSと契約しているYouTuberだと思われていました。

一応、TBSの記者はやらせていただいております。カバーエリアは、主に中東なんですけれども、さっきお伝えしたように、ウクライナの取材なども行っています。主に戦地になってしまうんですけれども、皆さんの今いるビルも、外苑の近くだと思うんですけれども、ガザとかウクライナとか、どんな場所でもみんな同じように同じような場所で仕事をしたり、カフェで時間を楽しんだりっていう時間を過ごしている中、突然その日常を奪われてしまう。戦争の非常に残酷な場面をできるだけリアルに現場から伝えていきたいなと思って活動しております。よろしくお願いいたします。

【滝川】
国境をまたぐ人々の動きを取材取材されてきた、オランダハーグ在住のジャーナリスト村山祐介さんです。


村山祐介さん

【村山】
どうもよろしくお願いします。ジャーナリストの村山祐介と申します。ハーグを拠点に、ウクライナとか各地の移民難民の取材を主にしていまして、今、キーウにいます。

もう秋が見えてきたというか、半袖だと寒いぐらい、一気に気温が下がったなという感じです。私、実はもともとは商社マンから仕事を始めてまして、30歳を前に、ワシントンとかドバイの特派員をして、50歳を前にフリーになりました。

「クロスボーダー」をキーワードとしてテーマにしていまして、難民や移民とか、貿易とか国境ですね。国境にすごくいろんな意味で引き寄せられるものがありまして、その国境を越える人とかモノとかお金とか情報とか、その背景を探るような取材をしています。今日はよろしくお願いします。

【滝川】
そしてD-JEDI理事の熊田さん、自己紹介をお願いいたします。

【熊田】
第2部のシンポジウムは現場ということが一つのテーマになってますが、実はこのお三方は皆さん、小西君なんかまだ24歳で、若くしていろんなところ経験して、皆さん戦場取材とかの経験をしています。

私一人、戦場取材の経験はありません。ただ私はNHK時代に東日本大震災の震災キャップをやらせていただいたりとか、雲仙普賢岳の噴火から熊本地震ぐらいまでの遊軍が長かったので、ほとんど全ての日本人の災害現場の前線で、現場を踏んでいるので、その立場から今日はお話をさせていただこうと思ってます。よろしくお願いします。

デジタル時代の現場取材の意味とは

【滝川】
今日お越しいただいている方はメディアの皆様、入社された頃から今日まで、現場取材って大事だというふうに教わってきたと思うんです。

ただデジタルが、そしてSNSがこの世の中に登場した時に、現場に行かなくても情報が集まることがたくさん起きた時に、私たちがどういうふうに現場取材を向き合っていけばいいのか、ということを前線にいらっしゃる皆さんとディスカッションできたらなと思ってます。せっかくの機会ですので、ぜひZOOMの皆さんにもご質問をしてください。

最初のアジェンダから始めたいと思います。SNSが発達しデジタルツールデータも進化する今日では、インターネット上に国内外のあらゆる人の発信ですとか、情報が渦巻いています。

最初に皆さんへ、共通の質問を今回ご用意しました。「あなたにとってデジタル時代の現場取材の意味とは」です。お手元のですねスケッチブックに回答を書いていただいておりますので、それを一つずつお示しいただきながら、そこに至った考えをお話しいただきたいなと思っています。では自己紹介の順番から小西さんよろしくお願いいたします。

小西「疑似体験装置としてのSNS」

【小西】
見えますかね。「疑似体験装置としてのSNS」です。二次体験装置としてのSNS現場取材。説明をした方がいいです?

【滝川】
はい。どういうことだろうと思いました。

【小西】
デジタル化っていう中で、僕は特にそのSNSというものに絞ったんですけれども、僕は取材当時から、SNSをかなり活用しています。約3年前に初めて取材をした時から、出すところがなかったっていうのもあるんですけれども、最初はとにかくSNSを活用していたっていうのがあるんですね。

僕の世代だと、高校ぐらいの時からSNS、スマートフォンを使っているので、かなりナチュラルな感覚で、今普通にポストするように「バングラデシュのこういうところに取材に来ています」みたいなことを報告する、みたいなことをやってたんですね。

そういうことを続けていく中で、SNSによって何ができるんだろうなっていうことの一つの答えとして、こういうものが出てきました。

具体的にどういうことかというと、SNSの利点というか特徴は、一つはリアルタイムであること、それからもう一つは個人発信できることで、この2つだと思っていて、大きく分けるとその2つが組み合わさった時に、疑似体験装置として機能するんじゃないか、つまり、例えばウクライナに行けない人たちが、僕という人間を通してウクライナという場所を疑似体験する、それをリアルタイムで発信していくということは、非常に重要な価値が高いことだなと思っています。

それは、発信の内容自体はこういうことが起きたということよりかは、取材者自身がその取材の中でどういう風に変わったのか、それは自分の心的な状況であったりとか、自分の見え方であったりとか、そういうものが取り巻く環境が変わる中で、どういうふうに変化していったのか、ということを伝えていくことができるこういうことですね。

見る人たちと世界の中間にいるような感じで、疑似体験させていくっていうことがSNSでできるということ、それがリアルタイムで起きるってことは非常に強烈なことで、例えば、僕自身の経験からお話をさせていただくと、例えば、ウクライナに僕が入って、首都キーウに3月の初めぐらいに入った時に、初日に爆撃されて倒壊した現場に向かうことがありました。

その時に爆撃されたそのビルの前の道路に、亡くなった方の遺体が置かれていて、その方の顔に布がかけられて置かれているんですね。

僕自身、やっぱりそれを見た時に全く何も感じなかった。全くというとちょっと誤解があるんですけれども、強烈な感情を持ち得なったということが一つありました。ただ、近づいてその人の顔にかけられている布が風で煽られて、その人の顔が見えたんですね。その時に、本当に僕は強烈な感覚が蘇ったというか、慟哭したんですね。

そういう自分自身の変化、顔が見えないことで、こんなにも一人の人間の死とか性っていうものが、軽くなってしまうんだっていうことであったりとか、あるいは首都のキーウにいる中で、最初は列車で入っていく時、すごい怖い、死んじゃうかもしれないと思って、そういうことをSNSのストーリーで、「すごく危険だから正直怖いです」ということを投稿する。その後、2日ぐらい経ったら、「爆撃に慣れてきました」みたいな話をする。

そういうものの中で、やっぱり見てる人が、リアルタイムで僕の感覚っていうものとして戦争の中で生きていくとか、戦争というものに、人がどういう風に適応していくのか、そういうものがわかるという面では、SNSっていうのが本当に強烈なツールになるなという風に思っています。

世界を見ることで自分のことがわかる、自分のことがわかるから世界がわかる、この行き来をしなきゃいけないっていうことがあると思うんですね。世界は何も知らないのに自分のことがわかるっていうことは言えないし、自分のことが何もわかんないのに世界のことだけわかる、ということもありえない。

行き来する中で、相対的に位置づけられた自分の存在っていうもの、 ないしは世界というものを知る、それを疑似体験的に現場に行った人間がやっていくということは、見る人たちにとって非常に重要なものなんだっていうね。

【滝川】
じゃあ、この小西さんのSNSを媒介して、私たちが世界現場を疑似体験し、世界もまた私たちの側を疑似体験するというか、小西さんがSNS自体がメディアになっているということですかね。

【小西】
そうですね。僕のそういう発信自体が、SNS自体がメディアになっていることにこだわるということなんですよね。やっぱり戦争というものを伝える時に、僕自身がどういうふうにそこに適応していったのかとか、それはすごく人間っていうものを語るときに重要だと思ってるんですよ。

過程を見せる。「暴力に対する慣れ」「人の死に対する慣れ」「人の暴力に対する慣れ」そういうものに僕が慣れていく、順応していくっていうことは、僕の中にそういうものが全くなかったということじゃないんですよ。

だから僕は、僕自身の中で戦争を見た。そういうことの過程が、単なる「こういうことが起きた」「ああいうことが起きた」っていう、「僕」が存在しない単なる情報としての戦争っていうものとは大きく違う。視聴者が僕を介することで、より深くその戦争と自分自身の人間世界と自分自身の人間というものを考えるきっかけにはなると。

【滝川】
ありがとうございます。SNSが登場してからのメディアの役割をすごく象徴する意味での現場に対する考え方だったなと思いますね。では、続きましてはい須賀川さんよろしくお願いいたします。

須賀川「オモテもウラも見せる」

【須賀川】
はい。よろしくお願いいたします。「オモテもウラも見せる」というところで、私はこれを非常に大切にしています。と言うのも、これまでのメディアの枠組みから仕方がなかったことだと思うんですけれども、当然テレビは尺の都合はありますよね。

2分、3分、4分、どんなに長くても地上波ニュースであれば5分で、新聞も紙面の制限というのがもちろんあるわけなので、どうしても過激な部分を伝えなくてはいけない。

おそらく今、先に話してくださった小西さんとかも、やっぱり新しい時代の人なので、我々がこの感じたジレンマを飛び越えて、SNSを駆使して発信している。素晴らしいなと思うんですけれども、やっぱりこれまでのメディアの伝え方って、どうしてもほんの限られた中で、例えば貧困を伝えるんであれば、もうできるだけ貧困の現象が伝わるような部分を切り取るわけなんですね。

これはウクライナでもあるんですけれども、結果的に、「war fatigue」という言葉が使われているんですよ。要するに戦争疲れですよね。

これはやっぱり、日々その空爆の映像ですとか、あとは本当にエピソード重視の、家族を亡くした方、親戚をなくした方、子供を亡くした方、そういったニュースがずっと続くわけなんですけれども、実はそうではない人たちがいる。たくさんいるわけなんですね。

瓦礫の山はもちろん現実として起きちゃうわけなんですけれども、瓦礫と化していない街ももちろんたくさんある。これは特に、私はガザから報道した時に、僕もこの担当になってから本当に経験も浅いものですから、こういった諸先輩方と一緒にこの場で話させていただくのは非常に光栄なんですけれども、やっぱりガザに初めて入った時、それまでガザで見てきたもの、ガザのガザ発の報道しかなかったわけですよね。

そうすると例えば、瓦礫の中を登校するために歩いている子供ですとか、あとは血だらけの病院ですとか、多分そういったイメージが皆さん非常に強いと思うんです。私もそうだったんですね。

ところが実際行ってみると、イスラエルの空爆っていうのは精密爆撃ですから、街全体が廃墟と化してるわけではないですし、高級スーパーもあります。スーパーに行けばスモークサーモンも売っている、日本の寿司セットも売っている、なんなら手巻き寿司も売っているわけなんですね。

本当に私たちと変わらない生活をしているんだというのを、目の当たりにしまして、でも今までの報道っていうのは、そういうところを見せることはできなかったんですね。

この後のシンポジウムのあの一つの議題にもなると思うんですけども、メディアへの不信っていうところにも、やっぱりこの切り取りっていうのは繋がってるなと思っていて、メディアが伝えたいことを意図的に編集して伝えてるって事は、逆に言うと、何か隠されてるんじゃないかっていう不審にはつながると思うんですね。都合よく見せたい。

例えばですけれども、ガサの話ばっかりになりますけれども、ガザから大量のロケット弾がイスラエル側に無差別で発射されているわけなんですね。でもどうしてもガザに対する空爆の被害は圧倒的に多いですから、そちらが報道されて、完全に「イスラエル=悪」っていう風になってしまうと。

でも実はこの裏を見せると、当然圧倒的な武力の差もありますし、これまでの歴史を踏まえて、イスラエルが犯している戦争犯罪っていうのはしっかりと追求しなくちゃいけないんですけれども、じゃあハマスがやってることは何なのかとか、パレスチナ側も戦争犯罪に準ずることをやっているので、そういったところも全部見せることができるっていうのが、新しい今のWebメディアの非常にいいところなのかなと。

尺の制限がない、紙面の制限がない、というところなのかな、というところで、私「ウラとオモテも見せる」というふうに今回テーマのお答えとして書きました。

多分私、話し始めるとですね、多動の気があって、ずっと喋り続けてしまうので、とりあえず一旦ここで村山さんに譲りたいと思います。

【滝川】
ありがとうございます。エピソード主義の話は第1部でも出てきましたよね。メディア不信につながっているんじゃないかと。では、村山さんお願いいたします。

村山「五感で一次情報を得る」

【村山】
よろしくお願いします。私は「五感で一次情報を得る」ために現場に行っているという感じです。デジタル空間で、動画とか文章とか、いろんな情報が手に入るんですけれども、現場に行かないとわからないことっていうのも確実にあって、例えば遺体の匂いだったりとか、撮影してる指がかじかむほどの寒さの中で暮らす人たちの状況だったりとか、喉に染み込む水とかですね。

この場所で、この日、この時、こういう状況になって、こういう匂いがしたりとか、こういう声を聞いたりしたという、五感を通じて得た一次情報を記録することは、やっぱり現場でしかできないところがあって、それを私はジャーナリストとして現場に行って、発信してっていうために現場に行っています。

ウクライナに行ってウクライナの戦争の取材をしているんですけれども、戦時下だと現場、あるいは現場にいる人と会うことってのは、すごく大事だなっていうのを日々感じてまして、発信力がある国とか政治家とか、そういう人たちのメッセージが遠くまで届くわけですね。

そういった発信には意図があって、特に戦争の状況なので、命がけである意味情報戦もやっていて、報道する立場からすると、非常に難しいというか、定型になっちゃってる感じがあるんですけど、例えば学校とか、駅とか、スーパーとかにミサイル着弾があって、30人50人死にましたというと、だいたいウクライナ側は意図的に狙ったロシアの戦争犯罪であるといろんな証拠から断定したと。

その判断根拠っていうのは、機密情報に当たれば全部示さないわけですね。ロシア側は我々は民間人は狙わない、これはフェイクだと言ってですね、それを報じるメディアは「自社では双方の主張の裏付けを取れていません」と、そこまでパッケージして記事にするっていうのが、変な形で雛形みたいに定着してしまっていまして、何が起きてるかよくわかんないんですよね。

現場に行けば、その現場で幼稚園とかマンションとか、民家の真ん中だったりとか、あるいは幼稚園そのものが崩れてたりとか、怪我をしているおばあちゃんだったりとか、子供だったりとかで、100歩譲ってそこに軍の関係施設が、あるいは軍の人たちがいたとしても、結果として街全体を破壊する無差別殺人になっていて、こんなことは許されるのか、というのが現場を見ていると全体像として感じるところもあるし、それをやっぱり伝えたいという思いが出てくるというか、そういう現場で見えてるものっていうのを私自身記録をして、私自身の思いを含めて伝えていきたいなというふうに思っています。

【滝川】
ありがとうございます。確かに臭いってわからないなって今すごく思いました。そして、熊田さんお願いします。


熊田「2つの”顔”を見るため」

【熊田】
3人の方が言ったお話をまとめると、こういうことになるんじゃないかなという、まさに私が書いていたのがそういう話でして、NHKの人間もいるんで、また同じことを言ってるって言われるかもしれないですけど、究極的に現場にこだわる理由っていうのはこういうことだと思うんです。

こういう時代に「2つの”顔”を見るため」だというふうに考えます。2つの顔は何かというと、一つ目の顔っていうのは、あらゆる災害でも、事故でも、戦争でも、それぞれの顔ってのはあると思うんですよね。例えば災害で言うと、顔が見えてくると、この問題の本質は何かっていうのがわかってくる。

例えば東日本大震災でいうと、想定外の津波とか原発事故で、原発対策っていうのはいかに緩かったのかってことが見えてきたり、北海道地震だとブラックアウトっていう、停電が起きたら、どんなことに社会はなってしまうんだとか、阪神大震災だと要するに、都市型災害って起きると何が起きてしまうのかっていう、そういうことで、本当の意味とかそういう実相が、戦争の実相が見えてくるっていうんですよね。

さっき須賀川さんがおっしゃってたような、「オモテもウラも見せる」で、要するにもう我々の普段の日常の裏側のようなところで戦争が起きていて、戦争疲れみたいなことまで起きてしまっている。

国連憲章も何もブチ切って、突然ある文明国が文明国に戦争仕掛けてきて、それがいつまで続くかわかんない、とんでもない事態っていう、そういう新たな社会の実相みたいなものが見えてくる、というのがやっぱりあると思うんですよね。1つの事象が何であるかっていうことが見えるっていうのは、現場に行かないと決して見えないと思います。

もう1個の顔っていうのが、小西さんも言ってたような、初めて自分はその場に行って、風でめくれた死者の顔を見て、この戦争は何だったかっていうことを気づくとか、村山さんもおっしゃってたように、現場に行かないと初めて五感で感じられないことって、すぐ僕らって災害にしても、戦争にしても、数字のニュースになっちゃうんですよね。

500人死にました1万人死にました、20万人避難してます、それはそれで大事な報道なんですけど、それをいくらやっても、あっという間にニュースって消費されるので、これをいくらやってももうあっという間に。「ウクライナ」ってGoogleトレンドで皆さん調べてみたらわかると思うんですけど、ウクライナを検索して読んだ人たちは、日本では1,2週間しか持たないんですよ。持たなかったんですよ。

それぐらいあっという間に消費されて読まれないんですけど、それをじゃあどうやったら読んでもらえるかとか、我が事と思ってもらえるかっていうのは、やっぱりそこで亡くなった人の顔とか、要するに自分のことだというふうに思ってもらうようなことをするには、現場に行って、五感で体感するしか方法がないんじゃないかなというふうに思ってます。

それを伝える方法として、従来のメディア以上に、小西さんが言ったように、要するに過程も含めて全て、要するに新しいデジタルを使えば伝えることができるというのは、ものすごく今大事なことで、初めて現場でやった僕らの成果っていうのが、本当の意味でちゃんと伝わる、小西さん言ったことでもうすぐ重要なのが、個人もメディア化できるって時代じゃないですか。

そういうことってすごく大事で、ただ個人でメディア化するって言っても、ただ発信してる人もいるじゃないですか。正直困った人たちもいるじゃないですか。だからそういうことも含めて、僕らっていうのはやっぱりスキルも、いろんなリテラシーも上げていかなきゃいけないと思っていて、それがこれから大事だというふうに思いました。

3人の方の話を聞いて、改めてその思いを、私は今、強く思いました。ただその上で、これは次の部の議論になると思いますけど、現場だけでもやっぱり今の時代はちょっと難しいのかなということがあって、それを乗り越えるには、僕はやっぱりテクノロジーの力かなというふうに思ったりとかしています。はい。とりあえず私から。

ジャーナリストと当事者発信の役割の違いは

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