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夢中だった記者職なのに、私がマスメディアを離れた3つの理由

文:D-JEDI理事 滝川麻衣子

「このまま意識を失ったら死んでしまうな」

広島県北部の山間部に向かう高速道路で、車のハンドルを握りながら、心底ひやっとしたのを覚えています。
当時、新人記者だった私が向かっていた先は、とある集落で起きた殺人事件の現場でした。

ひとたび事件が起きれば、記者はまずは発生現場、そして聞き込み、被害者の顔写真集め、県警幹部の夜回りと、お決まりの流れが続きます。週末ごとに発生していると感じられるほど殺人事件が連続し、その度にデスクに呼び出される私は、疲労困憊していました。

ここで眠るのは本当にまずいー。

頭のどこかでは冷静にそう思っているにもかかわらず、対向車線にもほとんど車が通らない、走っても走っても単調な山間の景色に、何度も何度もうとうとしかけてしまうのでした。

ダメダメだった新人記者時代

一緒に警察担当をしていたおじさん記者の本業は画家。4年間の広島支局生活を終える時、ポートレートをプレゼントしてもらいました。

2000年代初頭、就職氷河期に入社した新聞社で、最初の赴任地が広島でした。

私がいたのは全国紙の中でも、もっとも人数の少ない産経新聞社。広島ぐらいの中核支局でも、県警記者クラブは新人の私がいわゆる「キャップ」と呼ばれる責任者でした。

嘱託で働くフリーの60代のおじさん記者と2人で警察・司法を担当していたのですが、圧倒的な部数と組織力を誇る地元紙を前に、文字通り吹けば飛ぶような存在でした。

そこでの取材の負けっぷり、ダメさ加減を思い出すと、今でも穴があったら入りたいくらいです。

新人記者の頃を振り返ってみて思い出すのは、人手不足もあって早くからさまざま経験をさせてもらった一方、とにかくいつも疲れ果てて、時間がなかったことです。

新聞社時代、いちばん残念だったこと

4年の広島生活を経て、大阪本社、東京本社と異動し、いろんな意味で個性あふれる人たちと仕事をしました。

関連媒体のリニューアルをやったり、経済記者として民間企業に日銀、霞が関と、さまざま業界を担当したり。15年以上にわたって新聞記者として働きました。

記者が「名刺一枚で誰にでも会える」というのはある意味、その通りです。

殺人事件の疑惑の人物から大臣まで、国内外で取材をしましたが、誰かと会って話を聞いて、調べて記事にする仕事は、時間も不規則でハードではありますが、のめり込む面白さがあります。

記者の多くがそうだと思うのですが(記者に限らず仕事とはそもそもそういうものかもしれませんが)、仕事を教わったのは、社内の先輩よりもデスクよりも、社外の人たち取材先の人たちでした。

取材先には今も活躍されている人も、更迭された人も、既にこの世にいない人もいます。

記者は取材という限られた時間を通して、話したいことも話したくないことも引き出す胃がキリキリするようなやり取りをすることで、別の誰かの人生を垣間見る経験を、ひたすら積むことになります。

「事実は小説より奇なり」を噛み締めたことは、一度や二度ではありません。

ただ、そんな強烈な魅力の一方で、新聞社でもっとも残念に思っていたことがあります。

昼夜問わずに呼び出されては、発生対応やデフォルト化している深夜業務を続けていくうちに、少なくない人が心身をすり減らし、疲労困憊して離脱していくこと。

まだ小さい子どもや家族を残して、早くに亡くなってしまった同僚もいます。

そんな人たちの顔を浮かべて今でも時々考えるのは、今はもう業界を離れた、自分などより圧倒的に優秀だった同僚たち、ユニークな先輩たちの半分でも残っていたら、もっと新聞業界は違っていたのではないか…ということです。

マスメディアを離れた3つの理由

転勤を伴い、たくさんの人と出会う仕事は、たくさんの人との別れもありました。

私は2017年2月に、新聞社を辞めました。

二度の出産を経た私は、働き方や子育ての問題など、自分ごとでもあり世論も盛り上がるさなかにあったテーマを取材。経済部に所属しながら、子どもが小さいことを理由に、時短勤務で記者は続けられていました。

それでも「もう、離れよう」と思ったのにはいくつかの理由があります。

1つは、子どもを育てながら深夜勤務や転勤がデフォルトとされるような記者を続けることに、先の展望が描けなかったこと。

加えて大きかったのが、インターネットメディアの経験を積みたかったこと。それに関係して「もっと勉強する時間が欲しい」と思ったことです。

1つ目は文字通りですが、後者の2つについて、少し説明しましょう。

2010年代には次々に新しいウェブメディアが誕生し、紙の新聞は"オワコン”扱い。少なくない記者が「デジタルの仕事をしたい」と考え、私もその一人でした。

ただし、少なくとも当時の新聞社内には「紙至上主義」が根強くあり、「1面を書けるかどうか」が大きな価値基準でした。

あらゆるメディアの情報と個人の発信が、スマートフォンの普及によって等価で見られる時代に、どの記事が1面かは、その頃の私には新聞社同士の都合に思えました。

紙の情報をただ横書きにしてネットに流し込む以外に、どういう企画や発信ができるかに向き合いたい。インターネット時代のメディアを模索したい。
そう切望したところで、若手や中堅の日々の取材は変わらない…という現実に、閉塞感を覚えていました。

さらに焦りを感じていたのが、記者として初めての業界、初めてのテーマでも短時間で調べて取材し、なんとか形にする力は身についても、何かを深く体系的に勉強することから遠ざかっているということでした。

留学を選んだり、夜間や週末の大学に入り直したりという選択肢ももちろんあったでしょう。一線での仕事をこなしながら、そうした勉強時間を確保している優秀な記者ももちろんいたのです。

ただ、保育園児と乳児を抱えて(夫は深夜勤務の)ワンオペで仕事もして…となると、当時の私はただただ目の前の仕事をこなすことで目一杯。そんな時間を捻出することは、空雑巾を絞るような話に思えました。

「一度、すべて手放してみよう」

ろくに先も決めずに、辞めることだけ決めました。

記憶が飛んでる怒涛の日々

Business Insider Japanでは、記者業に加えてWeb編集者の仕事が大きな経験になりました。

その後、私はアメリカのインターネットメディアの日本版の立ち上げに関わることになり、5年近くそこで働きます。

それが朝日新聞を辞めたばかりの元AERA編集長、浜田敬子さんが立ち上げ編集長をするという、Buiness Insider Japanでした。

メディアの立ち上げ当初は、想像以上に怒涛の毎日で、子どもたちが小さかったこともあり、記憶はところどころ飛んでいます。

取材も企画も編集も国内外のイベントも動画も、あらゆる手段を小さなチームでありったけ試すことで、うまくいったこともいかなかったこともあります。

それでも、2010年代の新興経済メディアに身を投じたことは、外から伝統メディアに向き合うことでもあり、ワクワクするような可能性もウェブメディアビジネスの苦味も味わう、またとない日々でした。

何よりも、同業他社でそれぞれ知見を積んできた多様な人材が作り出す「場」の面白さを実感できたことは、実に貴重なことでした。

自由な発信の時代になぜ不自由か

負け続きの事件取材で疲弊していた新人記者の日々から、20年ほどの月日が流れました。

2022年8月現在私は、社会人の学びのプラットフォームをつくるスタートアップで働いています。今の仕事に至った背景をまじめに語ると長いのですが、一言でいうと「好奇心」が一番大きいかもしれません。

新しい職場はSchoo。社会人の学びのプラットフォームです。

メディアの仕事を長く続けてきた自分が、どういう形で別業界に作用できるのか。ある意味実験の最中です。

そしてこの20年の間に、言うまでもなくメディアを取り巻く状況は様変わりしました。

私が新聞社に入社した当時には想像もできていなかった程、情報発信は広く個人のものとなり、マスコミの“専売特許”ではなくなりました。

ところが情報は広く多くの人のものになるどころか、リテラシー格差やアルゴリズムによって非対称性を生み、いくつもの分断が広がっています。
自由に発信できる時代の、良質なコミュニケーションはどう作れるのか。

職業や国を問わず、これからのメディアについて多くの人と話したい。問い直したいと考えるようになりました。

そうした中で、思いを同じくする人たちと、働きながらも勉強できる場を…と立ち上げたのが、一般社団法人デジタル・ジャーナリスト育成機構(D-JEDI)です。

風通しのいいサイクルの可能性

メディアの人材流出が言われるようになりましたが、これからも多くの人が入っては出ていくことが、常になると思います。それは業界問わず起きていることでもあるからです。

このことは、決してネガティブなことばかりではなく、メディアにいながら別の仕事もしたり、メディアが人材を輩出したり、小さなメディアがたくさん生まれたり、別業界からメディアに人が移動したりーといった、風通しのいいサイクルが生まれる可能性もあるはずです。

時間や競争に追われて(かつての自分がそうだったように)疲弊しそうな時。会社だけではないネットワークやインプットで、視界を広げたり俯瞰した視点を得たりすることが、個人や社会の「解」に繋がればと願っています。

職種や業種の垣根を取っ払って、そうした場がもっと機能していればー。これまでだって、心身を壊すまですり減らずに済む人もいたのではないかと、今でも思うのです。

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