「なぜメディアのDXはこれほど遅れたか?」組織と個人のデジタルリスキリング基礎レポート【後編】
「リスキリング」の第一人者、ジャパン・リスキリング・イニシアチブの後藤宗明さんをお迎えし、メディアにおける組織と個人のリスキリングについて議論したイベントの後編。
D-JEDIの理事である金川雄策さんと古田大輔さんも加わり、お二人がそれぞれ最初に大手メディアに入社してから、どのようなキャリアの変遷を経てリスキリングを行ってきたかの体験談を共有し、リスキリングに必要なスキルについて考えました。
リスキリングの4つのキーワードを具体的な行動に落とし込む
滝川:それでは、ここから後半のワークショップに入ります。いまご参加いただいている方々はリスキリングに関心をお持ちで、コアスキルをお持ちの方が多いと思います。そこにデジタルの掛け算をしていくことや、持続可能な働き方や学び方を実現していくためのスキルを身につけるためのワークショップとなります。
先ほど前半で後藤さんに共有いただいた資料の中で「アンラーニング(学習棄却)」、「アダプタビリティ(適応力)」「プランニング(未来予測)」「リスキリング(スキル再習得)」という表がありましたが、この4つのキーワードをベースに後半を進めていきます。
ここからはD-JEDIの理事の金川さんと古田さんに登壇いただいて、それぞれのキャリアの変遷とリスキリングの体験をシェアしてもらいたいと思います。金川さんと古田さんのそれぞれの体験を踏まえて、この4つのスキルの視点から後藤さんに解説いただくことで、ご参加の皆様はこの4つのスキルを具体的に行動に落とし込む方法をイメージしていただけるのではないかと思います。
では、理事の金川さんにご自身の体験をお話いただきたいと思います。金川さんよろしくお願い致します。
原動力はスキルのコモディティ化への危機感
金川:まず自己紹介をします。D-JEDIの理事をしておりますが、本業はYahoo JAPANクリエイターズプログラムというところでドキュメンタリー部門の責任者をしています。元々は朝日新聞社で映像報道記者として色々な現場に行っていました。2014年にニューヨークにドキュメンタリーフィルムメイキングの勉強をしに行って、その後復職しましたが、しばらくした後にヤフーに転職してドキュメンタリーの部署を立ち上げたという経歴です。
これまでの変化を段階で見ていくと、2004年に朝日新聞社に入社し、2004年〜2013年まで朝日新聞の写真記者として働きました。2014年〜2015年に留学して、その後朝日新聞に復職して2015年〜2017年は映像報道記者としての仕事をだいぶするようになりました。2017年にヤフーに転職して、映像プロデューサーという立場で仕事をしていました。さらに2019年からはビジネス企画職も兼ねたプロデューサーになっていくという形で変遷しています。
これらの変遷の間にあったことをご説明すると、「写真記者」と「映像報道記者」の間には、独学やOJTを経て、ニューヨークへの留学があります。ヤフーに移った後の「映像プロデューサー」と「ビジネス企画も兼ねたプロデューサー」の間には、仕事をしながら2019年から3年間経営大学院で学んでMBAを取っています。今日は、最初の「写真記者」から「映像報道記者」になるまでの部分を中心にお話したいと思っております。
後藤さんの本でリスキリングの4つのスキルについて読みましたが、その順番が気になりました。なぜなら、私の場合は3番目とされている「プランニング(未来予測)」のステップを一番最初にやったんじゃないかと思ったからです。後藤さんの本で一番目のステップとされている「アンラーニング」は、ずっと朝日新聞という会社にいながらやることはなかなか難しいことなんですよね。外部環境を分析することで、「この状況はまずい」と危機意識を高めたからこそ、僕は「プランニング」のステップを一番最初に踏めたんじゃないかと思います。